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ポーランド国設定チャラホラ

・ポーランド民族の嵐 (赤色自衛隊)


、赤色自衛隊


人民戦線の各党らの支持者(ほぼ強制的に)の中から16歳から59歳までの男性で構成された義勇軍部隊。武装に関しては小銃、はては拳銃すら全部隊へ供給できずにいる状態で、場合によっては前大戦あるいは中国軍からの鹵獲品で武装した、被服に関してはさらに酷くポーランド人民軍(ポーランド人民共和国の正規軍)で使用された被服使用などはまだいいほうであり、中には普段着で戦闘を行うものも出た。認識用に赤い布を腕に巻いて戦闘をおこなった。
指揮官には従来のポーランド国防軍に設置されていた政治士官を将校に応用するか、人民戦線の各党から派遣された高等党員が指揮に当たった。前者はまだ元軍人といった軍事的教養を持つ人間も少ながらずいたが後者に関しては一切の犠牲を問わない無謀な死守命令を行った。このことから高等党員を射殺した上部隊規模で降伏するシーンが東部戦線(対中国・オスマン戦線)で何度か見られたといわれている。

、アナボル戦争


この派遣された高等党員は政治士官とは別の指揮系統であり、高等党員の多数はポーランド共産党から派遣されている。また数少ない無政府主義者のブント出身者の高等党員が指揮する赤色自衛隊を、ポーランド共産党出身の赤色自衛隊が攻撃するという内ゲバが勃発、その一報が流れるやいなや無政府主義者のブント指導部が激怒、ワルシャワ市で無政府主義者のブント系民兵部隊が武力蜂起、無政府主義者のブント系列を除く人民戦線政府軍(ポーランド国防軍)がこれに応戦した。この紛争は二日間続く。この内ゲバをワルシャワ市民はアナボル戦争と呼んだ。
二日間の内部闘争は結果無政府主義者のブント敗北で終結し、直ちに悲惨な報復行為がおこなわれた、手始めに無政府主義者のブント指導者を処刑し、その後シンパや党員などが多数強制収容所入りにあった。これは中華民国やオスマン帝国が東部戦線で大攻勢をかけるさなかで起きた事件であり決して平時で起きたものではない。
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