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昔考えた設定

革命

皇帝による専制政治と長らく続いた飢餓に苦しむ中、そんな社会混乱の渦中にて都市部にて革命運動の建設が高揚していた、しかし決定的な暴力組織を有していない社会主義諸勢力は、「農村・辺境に進め!」のスローガンを下に農村や国境警備に従属する自由族に浸透作戦を開始した。
時を同じくしてアナニエフが指揮していた自由族第七連隊が担当していてる警備地域一帯は長らくの間飢餓が続き社会的混乱と皇帝に対する忠誠が揺らいでいた。現状の怒りと父が熱心な自由主義者であったことから、彼は父の書斎にて海外の書籍を手当たり次第読み漁ると共に、都市部から来たヤード連邦共産党(ヤードゴニエ連邦共産党の後身組織)党員と交友を進める、その中に初代党第一書記となるベリヤも含まれていた。
飢餓と長らく続く戦争はついに都市部の民衆の怒りは蜂起と言う形で爆発した、帝政に対する否定と人民大衆の組織建設、戦争の即時停止を唄った『兵士・労農会議』ヤード社会主義諸勢力所謂レーテがベリース市に誕生する。これに対し皇帝は軍を派遣し弾圧を強めた、これにヤードグラードの警備が薄くなったことによりヤードグラードにても諸民主勢力は武器を持って蜂起した。
都市部の労働者の蜂起の一方を聞いたアナニエフは皇帝に対しついに忠誠拒否を表明、西部国境一帯(矢・ユーク国境)を統括するアタマン・ニコライ・D・ラスコーリニコフ(ラスコーリニコワ国防人民委員の父)はこの蜂起に同調し西部国境一帯の自由族が一斉に皇帝に対し忠誠拒否を宣言する、西部国境アタマン総会議にて「赤色自由族騎兵軍団」編成を全会一致に決定し軍団長をアナニエフとし、各都市を反革命軍との戦闘により奪取しベリース、ヤードグラードを包囲した。
ついに軍団は首都ベリースへ進軍 包囲した、それと同時にヤードグラードで諸民主勢力は一斉蜂起し、これを受け皇帝は退位を宣言しユークトバニア(現・リベッカ=アルテミス二重帝國)へ亡命しここに長らく続いた帝政ヤードは終焉する、この諸民主勢力と社会主義勢力は一応の勝利を勝ち取り、ヤードグラードにて民主連立政権を発足させた。しかしこれはベリースで誕生したレーテグループ(ヤード連邦共産党、赤色自由族騎兵軍団、戦闘的黒旗団、全ての兵士に故郷へもどる権利を)を除去した形で発足したものでありこれに対抗しレーテはベリースを本拠地とするレーテ政権が発足する、一つの国家に二つの政権が誕生した瞬間だった。
民主連立政権発足後、アナニエフとベリヤは共闘協定を結びレーテ政権の正当性を理由に革命的蜂起準備委員会(ヤード連邦共産党の武装組織)と共に民主連立政権(穏健的社会主義勢力、自由主義勢力、反共自由族系)に対するテロルを続け、八月にてヤードグラードへ進軍、民主連立政権主要施設に対し強襲を行い大統領、閣議員および諸指導者を拘束した。
民主連立政権が倒れたが血生臭いテロルはさらに続いた、次の目標は革命後思想的対立が表面化していた戦闘的黒旗団であり同団体の指導者等を拘束し強制解体を行った、内外の敵が一掃され、ついに世界に対しヤードゴニエ社会主義共和国連邦建国をベリヤ、アナニエフ、ガガーリンが宣言した。
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